LOGIN翌朝、早朝も早朝の王宮の中庭。王宮全体がまだ動き出す前のまだ朝露の残る芝の上に、私はマリク王子とともに向かった。「気が乗ってなさそうですね、王子」 私が声をかけると、王子は振り向いて苦笑した。「太陽の紋章を受け継いだとはいえ、争いは苦手だよ。使いこなせるかどうか……」「王子……」 いつになく弱気な王子。共感するべきか激励すべきか悩んでいたところへ、背後から朝にしてはうるさい声が響く。「おはようございます! 王子!」 振り向かなくてもわかる、フリーダだ。 そっと息を吐いていると、気楽な足取りで歩いてきたフリーダは王子の前に立った。「王子、今日は付きっきりで、手取り足取り紋章の使い方を教えてさしあげます」 む……。「フリーダ。頼むよ。君になら安心して任せられる」 私は王子の前に立った。「待ってください。紋章を教えるのに手取り足取り使う必要はありません。王子……気を付けてください」 王子は不思議そうに私を見る。フリーダがふふっとおかしそうに笑った。「秘書官さん。比喩よ比喩。……気を付けてって何を想像したのかしら?」 頬が熱くなる。「そ、それは!! な、なんでもない」「大丈夫だよ。ティナ。ケガをしたりはしないから」 王子の手が私の肩に触れて、私はなにも言えなくなってしまった。
私はフリーダと顔を見合わせると、すぐに踵を返した。 「王子のところへ行く」 「また急ね、今から?」 「内通者が王子の近くにいる可能性があるから、確かめないと」 フリーダは髪をいじりながら少しだけ考え、それから紅茶を片付けた。 「そしたら、私は周りを見てくる。後で報告ね」 私は頷くと、そのまま扉を開けて王宮の回廊を急いだ。 夕暮れの光が石壁を赤く染めている。胸の奥のざわつきは、まだ消えていない。 早足で王子の執務室の前に立ち、一呼吸置いたのち扉を叩く。 「失礼します」 「ティナ? どうぞ」 中に入ると、マリク王子が書類を確認していた。私が目を通すよう頼んでおいた書類だ。 「どうしたんだい? 君のせいで僕はこんな重労働を」 無事を確認するとくすりと気づかれないように微笑む。 「フォヴォラと戦うよりは、軽い仕事ですよ。それに予定を変更しないと言ったのは王子です」 「ふふっ、まあそうだね。辛いが、これも自分の言葉が撒いた種か」 王子は柔らかく笑うと、一息つくように紅茶を飲んだ。 「それで? 要件は?」 「あっ、いえ……出立の件で少し確認を」 私は言いながら、部屋の中を見回す。 誰もいない。窓も閉まっている。 それでも、さっき感じた気配がどこかに残っている気がした。 「ずいぶん険しい顔をしているね」 「あっ、護衛の配置を見直そうと思いまして」 王子には軽く見透かされてしまう。 「もう?」 王子が軽く笑った。 「君は本当に仕事が早いね」 「王子の秘書官ですから」 私は王子の机に近づく。 そのとき、机の端に置かれた書類が目に入った。王子の訪問予定をまとめた資料だ。 私はそれを何気なく手に取った。 ――折り跡。 紙の端に、わずかな跡がついていた。私の作った資
王子と別れたあと、私はすぐにフリーダを探した。フリーダは、王子にあてがわれた一室で呑気に紅茶を飲んでいた。 「ゆっくりしている場合じゃない、フリーダ」 フリーダは露骨に嫌な顔をする。 「予定通り、アヌ国へ一週間後。……そこで王子が襲われる」 「あんたね、また肝心な情報を言ってないじゃない」 ため息をつきつつも、その目は鋭く窓の外を見た。 「今日ので止められると思った。咎人を捕まえて、それでおしまいだと。でも……このままだと前と同じ流れになる。護衛は少数のまま。アヌで――」 「マリク王子が襲われる」 私の言いたくない台詞は、フリーダが先に言った。 「咎人は、もうアヌに先回りしているはず」 「確証はあるの?」 「ない。でもアヌでの襲撃はあまりにも完璧だった。王子の動きも、謁見の時間も、護衛の配置も把握していた」 フリーダは目を細めると髪を揺らした。 「つまり、王宮に内通者がいるってこと?」 私はゆっくりとうなずいた。 「そう。少なくとも一人は」 それが、前回の私の結論だ。いくら咎人でも、王子の予定が把握できなければあの迅速な展開はできなかった。 王宮の中に内通者がいる。 「面倒ね。外より中のほうが厄介なのに。前の記憶ではわかんないの?」 私は目を閉じる。 あの日。出立前、違和感はなかった。咎人の気配は襲撃のときに初めて感じた。 だから、城には咎人はいない。 「さっきの会議で、王子の訪問日程を聞いた瞬間。ほんの一瞬だけ、空気が変わった気がした」 「それは、そうね。無茶な王子の話だもの。みんな驚くわ」 「そうじゃない。確かに、驚きの声がほとんどだったけど、一人だけ……悪意を感じた」 「悪意?」 フリーダはいらただしそうに頭をかいた。 「情報が漏れてるわね」 「咎人にはもう伝わっている可能性もある。だから向こうで待ち伏せが成立する」 少し考えた後、フリーダは
「各国への訪問の日取りはこのままで、と考えています」 場がざわついた。口々に反対意見が述べられる。「我が国を除く8カ国、そのうち特に隣国〈アヌ〉はすでに準備を進めているはず。我が国が襲撃を理由に日取りを遅らせれば、アヌ国の人々に影響を及ぼす可能性があります。それに、襲撃があったからという理由で揺らいでしまえば、それこそ他国に付け入る隙を与えるようなものです」 みんなの動揺を鎮めるように、王子は落ち着いた穏やかな声で理由を話した。 王はにやりと笑みを浮かべると、あごひげを触り続きを促す。「ほう。お前がそういうのであれば、構わん。して、護衛はどうする?」「私の周りで十分です。最近、紋章士の新しい仲間もできたことですし」「王子! ダメです!」 この選択は誤りだった。護衛が少ないせいで王子は──。「アールグレン秘書官。構わん。王子の判断だ」 反論しようとしても、王の言葉に止められてしまう。王子は礼を述べると、予定通り1週間後にアヌ国へ向けて出立することが決定してしまった。 緊急会議は終わり、王子と私は謁見の間を出た。私はすぐに王子の前に立つと頭を下げる。「申し訳ありません、王子」「ティナ。何か君が謝らなきゃいけないことをしたのかい?」 そうです。私のせいで、王子を危険な目にさらしてしまう。けど、そんなこと言っても「心配性だな」とあしらわれるだけ……。 私は、焦りながらも記憶を紐解くように、前と同じようなセリフを発することしかできなかった。「&hell
「大臣。それくらいにしておいてはどうか?」 国王の声に私は、はっとした。しかし、大臣は止まることなく話を続ける。「国王。こういうことはきちんとしておかなければ。王子はこの後、各国を訪問する予定なのですよ? こんなことがあったとわかれば我が国の信用も失墜してしまいます。日取りも検討し直さなければなりませんな。やはり、政《まつりごと》に女を関わらせるなどするべきではなかったということでは?」 大臣はあごを上げると、わざと馬鹿にする視線を私に向けた。だけど、私は耐えるしかない。悪いのは……私なのだから。 私は気づかれぬように拳を握りしめた。「ノルドマン。その発言は、ティナを秘書官に任用した私を責めていると理解していいかな?」 怒りをにじませた発言をすると、王子が私の前に出た。マリク王子──?「そ、そのようなことは。ただ、私は秘書官の任が重過ぎるのではないかと申しているだけでありまして」「ならば『女』などと一般化しない方がいい。あまりにも言葉が過ぎる。下品と感じるほどにね。それに今回のことは元々私が言い出したこと。襲撃も成人の儀の翌日に起こったことから突発的ではなく、事前に計画されていたと見るべきだ。ティナは、厳しい状況の中でも極めて冷静な判断を下し、確かな実力を持ってことにあたった。結果、けが人は一人もおらず、家屋の破損も軽微で済んだ。これと同じことを果たして我が軍の中で誰ができる?」 いつものゆっくりとした口調ではなく、早口で王子はまくし立てる。大臣は動揺を隠せず、後ろへ下がった。「ですが、実際には襲撃は防げず、他国に恥を──」「もういいと言っている。ノルドマン」 国王の一言で場が静まり返った。ちらりと顔を上げれば、いつも微笑みを浮かべている王子の顔は近寄り難いほどに威厳があった。「咎人の襲撃を防ぐことなどできない。これは、歴史が証明していることだ。王子の言う通り、アールグレン秘書官は任に就いたばかりでよくやってくれた。それにその実力は、元々ノルドマン、防衛大臣のお主が一番知っているはずだろう」「はっ……」 大臣は不服そうに私を一瞥すると、席に座る。「さて、ようやく未来の話ができるな。して王子、各国への訪問はいかようにするつもりか聞こう。おっと、アールグレン秘書官、もうひざまずく必要などないぞ」「失礼します」 立ち上がると、集まった
王子を守っていた町民に扮した近衛兵が、王子の命令でさっといなくなりそれぞれの任に当たる。「……なに、ボーッとしてるのよ? 王子の手の感触を楽しんでるの?」「はっ! 失礼な! 今、動くところだ!」 頭を手のひらでゴシゴシと触ると、後ろを振り返る。やらなければいけないことは山ほどある。まずは、被害の確認と補償の手配、それから秘書官として報告書の作成となによりも今回の咎人の急襲を調査しなければいけない。「あっ、マリク王子! 私もほめてください! 最後のフォヴォラをたおすきっかけは私が作ったんです! 王子を守るために……」 しらじらしい顔をしてわずかに頭を下げるフリーダ。バカな……王子がそう簡単に頭を撫でると思っているのか。 そう信じていたのに、王子の手がフリーダに、伸びる。「ダッ! ダメ!! マリク……」 あの手は、私のものだけじゃなかったの? ……そう思いつつ手で顔を覆いながら、様子を見ていると、王子は頭を撫でるのではなくフリーダに握手をしていただけだった。「ありがとう。君のような紋章士を求めていた。助かるよ」「王子、も~頭を撫でてくれてもいいのに」 フリーダは顔を赤らめると、笑顔の王子の頬に手を触れようとしていた。 私はフリーダの手を王子から振りほどくと、至近距離でにらみつける。フリーダの顔が引きつった。「な、なぁに? そんな怖い顔をして……」「フリーダ。私たちは王子の家臣。まずは、命令を聞かないといけない」「えっと、うん……だから?」「現場の状況把握! 住民の保護!! 行くぞ」 フリーダの首根っこをつかむと王子から引き離す。こいつはやっぱり、危険人物だ。*「──状況は理解しましたが。これは、|由々《ゆゆ》しき問題ではないですか? アールグレン秘書官」「おっしゃるとおりです。まことに申し訳ありません」 街での襲撃は当然すぐに王の耳にも入ることとなり、私は秘書官として、王子とともに謁見の間へ呼び出されていた。「あなたの謝罪に何の価値があるというのですか?」「……はっ。いかなる処分でも受けいれる所存です」 防衛大臣が責め立てる。当然だ。幸い王子に傷を負わせることはなかったが、結局、危険にさらしたのは変わらない。「処分? あなたは確か先の会議で自身が全て責任を追うから少人数の護衛だけで、と言っていましたが。では、首を斬れ







